認知症のおばとの別れと、パパの悲しみ

 

2018年元日の朝、私のおばが亡くなりました。パパの4つ上の姉で、享年83歳でした。

心臓疾患が原因でしたが、晩年は認知症で家族がつきっきりで介護、7人兄姉の中で一番年が近かったせいか、パパの嘆きはおどろくほどでした。

 

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認知症介護の末、施設入居の目前に

 

本当に、突然の訃報でした。

私が最後に会ったのは、その半月前。一緒に暮らしている従姉に連れられ、わが家を訪ねてくれたんです。

 

2つ年上の私の従姉の横には、いつもおばの姿がありました。

どこに行くにも、いつも一緒。おばを一人にするコトは、なかったようです。

 

一年ほど前からかな、顔を合わせても、姪である私がわからくなったのは。

年末に会った時には、声をかけても上の空、身体もひとまわり小さくなったようでした。

 

「少し調子が悪くって」と、従姉が言っていたけれど・・・こんな急に亡くなるなんて思いもしなかった。(><;

 

パパが泣くのを、私たちは初めて見た

 

その後、元旦におばの容態が急変しました。

私たちが病院にかけつけた時には、すでに旅立っていたのですが・・・パパが、おばにすがって号泣するんです。

うちのパパがあんなに泣くのを見たのは初めてで、私もママもびっくりしました。

 

嗚咽をもらして、泣きじゃくり、泣いても泣いても、涙がとまらず。

足が立たないくらい憔悴しきって、しまいには私が支えていたくらいです。

 

長く会ってなかったし、家でおばの話をしたこともないのに、突然いろんな感情が噴出したのかしらね。

いろんな意味で、うちのパパは子供時代に戻っているのかもしれません。

 

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認知症でも、心のどこかでわかってる

 

私の従姉は最善を尽くして、おばを看取ってあげたと思います。

でも、さすがに自分ひとりの手には余るようになり、もうすぐ施設に入居する予定だったんですって・・・そこには、パパのもうひとりのお姉さんが。

 

亡くなったおばとは仲良し姉妹だったので、互いに認知症ではあっても、気心しれた者同士で楽しい余生を送ってくれれば・・・。

家族のそんな願いもむなしく、逝ってしまいました。(ToT)

 

こんなコト言うべきか、わかりませんが、私はおばが自分の娘をわずらわせないように、自ら旅立ったような気がします。

 

家族との別れは、いずれやってくる

 

従姉
従姉

あれだけがんばったから、お母さんを見送れる

葬儀の時、私の従姉はそう言っていました。

でも、おばさんも、娘を手放そうとしたんじゃないかな。

 

認知症って、何もわかっていないようで、全部わかっているのかも。

からっぽのように見えて、実は何かを感じているんですよね。

 

だから、こちらの接し方にも敏感に反応します。

  • ないがしろにすれば、反抗するし
  • 大切にすれば、言うコト聞いてくれるし
  • 愛情を注げば、愛情を返してくれると思っています。

淋しくっても、いずれ別れはくるものだし、私も両親を大切にしなくっちゃ。^^

 

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【認知症とセレモニー】今日のまとめ

 

お通夜そして、お葬式・・・パパのような認知症の人は、こういう儀式が苦手です。

普段と違う、おごそかな雰囲気。大勢いる見知らぬ人たち。

よそのお通夜では、じっとできないパパが、さすがに今回は神妙な顔つきで参列しておりました。

 

でも少々心配で、ずっと私が横にいたんだけど、何か自信がなくなると、パパは私を見ます。

そのたびに「それで、大丈夫」とか、「こうした方がいいよ」と目で合図。

 

途中で数珠をなくして大騒ぎしたけれど(笑)滞りなく、おばを見送るコトができました。

天国のおばも、きっと安心したコトでしょう。*^^*

 

今日の認知症パパ語録

 

パパ
パパ

葬式に行かなくっちゃ

おばの葬儀が終わって2~3日、パパが何度もそう言うんです。

思い出したように支度を始めるんだけど、ジーンズ履いて、どうするの?(笑)

 

ひめ
ひめ

パパ、お葬式は昨日すませたよ

パパ
パパ

あれ? そうだったっけ?

私とママが説明し、本人も納得して、一段落ついたと思ったら

 

パパ
パパ

葬式に行かなくっちゃ

そしてまた、ジーンズを・・・。

そんなやりとりがしばらく続き、ようやくわかってくれたと思ったら、今度は

 

パパ
パパ

四十九日は、いつだっけ? わしも行くぞ

と言いだした。

え゙、やっぱり? 一緒に行く私が大変なんですけど・・・それまでに忘れてくれないかなぁ。

 

そんなワケには、いきませんよね。パパのお姉さんだもの。^^

 

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