人は年を取ると夢と現実が交錯しがち、そして認知症になると、夢が現実を覆ってしまいます。
妄想癖がひどくなるにつれ、自慢話も増えてゆく(笑)。
そりゃそ~です、都合のいい別世界に、理想の自分を作り上げてしまうんだから。(^^;
認知症さんは、夢の世界で暮らしている
作り話は、とどまるところを知りません。(--;
よその認知症さんも、そうなんですか?
だとしたら、みなさん、しんぼう強いですね(笑)。
それとも、うちのパパが特別なのか・・・とにかく自慢話も、王様級!
よくぞ、ここまで脚色ができるもんだと、拍手を送りたいほどです。たとえば・・・
・中学生で、県内マラソンで1位になった ⇨ 気が弱いから、ありえない
・今は忘れたが、英語はペラペラだった ⇨ 最初から、覚えてないし
以前は酔っぱらって、自慢話をちょこっと盛る程度だったのに。
パパ、フツーでいいよ・・・頼むから。(^^;
認知症になって、語られる本音もある
パパの妄想自慢は、くやしまぎれの話ばかり。
勉強嫌いで、引っ込み思案だった幼少期を、理想の自分に塗り替えようとしています。
たとえば、こんなコトも近頃よく言うようになりました。

原爆におうて、全身が焼けただれたのに、こうして生きとる。なのに手帳をもらいそびれたわい
終戦当時、パパは7歳、広島の山奥で暮らしていたので、原爆にはあっていません。
実は広島には、どさくさまぎれに原爆手帳を入手して、医療費がずっと無料の人が結構いるようです。
パパは、原爆手帳で医療費無料という人が、うらやましいだけなのかもしれません。
認知症の妄想と、現実の間
パパの家は、むかし相当な成金でした。今では没落しましたが、幼少期は贅沢もしたらしい。
そこで飛び出した自慢が、この話です。

小学生の時、ひとりで汽車で旅に出てのぉ
・・・ウソッ!(=嘘ですけど)

オヤジが全国めぐってこい言うての。わしの家は金持ちじゃったけぇ、わらじを3足持たしてくれたんじゃ

わらじ? ・・・子どもがひとりで全国行脚?
もう、意味がわかりません。(--;
自慢話は、どんどん大きくなってゆく
私たちは、パパの話を否定するわけにもいかず、ただ黙って聞いているのですが、そのうちもっとすごいエピソードが、盛られるようになりました!

戦後、東京で、マッカーサーと話をしての

・・・・・・・・・え゙?
家族全員、目がテンになりました。

パパはチビじゃったけぇ、見上げるようじゃった。独学で英語を勉強しといてよかったわ。マッカーサーと握手して、あいさつしてな

・・・・・・・・・・

『よう来んさった』言うてくれての
・・・広島弁かい?(笑)
こんな調子で、ある日を境に「著名人に出会う」というハイライトに、喜びを見出したパパでした。(><;
【認知症の自慢話】今日のまとめ
人に話せば笑い話になりますが、毎晩、相手をする私は笑いゴトじゃありません。
そこにある夜、マッカーサーの後日譚が追加されたのです。(ToT)

東京行ったとき、そっから新潟に行っての。田中角栄の家に行ったんじゃ
・・・パパが小学生の時はまだ、角栄さん政治家じゃなかったんじゃ?
そう思っても、ココはガマンして聞き流す。
家族で話を聞いているのは私だけ、私まで無視するわけにいきません。
今日の認知症パパ語録

広島から、ひとりで来ました言うたら、角栄さんが『ウソじゃろ~~』言うた
しょうがいないので、私がたずねます。

で、角栄さんは信じてくれた?

うん『よう来んさった』言うて涙浮かべて、わしの手を握ってくれた
・・・なぜか、いつも相手は広島弁。

ホントー? すごいね。よかったね
話の腰を折らないで、徹底的にしゃべらせる! 聞く方にも少々、体力が要りますが。
やかましい認知症の対処法は、これに限ります(笑)。
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